
支えたいの正体は、見捨てられたくない気持ちだった
目次
1.支えたいの正体は、見捨てられたくない気持ちだった
2.与えることで、自分の価値を作ろうとしていた
3.優しさと境界線があいまいだった
4.本当に怖かったのは、見捨てられること
5.支えるって、本当はもっと自由なもの
1.支えたいの正体は、見捨てられたくない気持ちだった
2.与えることで、自分の価値を作ろうとしていた
3.優しさと境界線があいまいだった
4.本当に怖かったのは、見捨てられること
5.支えるって、本当はもっと自由なもの
1.支えたいの正体は、見捨てられたくない気持ちだった

「私がそばにいてあげなきゃ」
「この人、きっと私がいないとダメだから」
そんなふうに、誰かを支えようと必死になっていた時期がある。
相手のつらさを自分のことのように感じて、どうにか救いたくて、助けたくて、なんとかしたくて。
でもある時、ふと気づいた。
あれは本当に支えたいだったんだろうか。
もしかして、見捨てられたくなかっただけなんじゃないかって。
2.与えることで、自分の価値を作ろうとしていた

若い頃の私は、尽くすことで愛されようとしていた。
相手の話を聞いて、気分を汲み取って、察して動いて、相手のためにどこまででも頑張った。
それが自然なことだと思っていたし、それが恋愛のかたちだと信じてた。
でも本当は、「私はここにいてもいい」って思いたかっただけだった。
役に立つ私じゃないと、誰かのそばにいちゃいけないような気がしていた。
支えるって言いながら、実は不安だった。
必要とされてる限り、私はここにいられる。
そうやって、自分の存在価値をつなぎとめていた。
3.優しさと境界線が曖昧だった
頼ってもらえることで安心して、自分の意味を感じていた。
でも気づけば、いつも相手の感情に引っ張られていた。
相手が元気なら私も元気、沈んでいれば一緒に落ちる。
その人の感情が、私のコンディションを決めていた。
今思えば、私は相手のために動いていたというより、
私の存在を確かめるために動いていたのかもしれない。
支えることと依存することの境界が、曖昧になっていた。
4.本当に怖かったのは、見捨てられること

誰かに必要とされることが、私にとっての「愛されてる」だった。
何かしてあげられなければ、不安になった。
逆に、頼られないと自分の価値がない気がしていた。
でも、それって支え合いじゃない。
一方的に支えて、見返りは「存在の承認」。
愛されるために、私が勝手に与え続けていただけだった。
見捨てられたくなくて、支えるふりをしていた。
ほんとうの私は、そばにいたいって思ってただけなんだと思う。
5.支えるって、本当はもっと自由なもの

今も私は、人の話を聞くことが好きだし、誰かを支えたいと思う気持ちはある。
でも、昔と違って、自分をすり減らしてまで何かをしようとは思わない。
ちゃんと自分を大事にできていない時ほど、自分そっちのけで誰かを助けようとしちゃうクセが出る。それが自覚できるようになった。
だから今は、「支えたい」と思った時ほど、自分に問い直すようにしてる。
この関係は対等か、相手に頼られることで、安心しようとしてないか。
そう、昔の私は、相手に頼られることが、自分の存在価値だったのだ。
支え合いって、本当はもっと静かで、無理がなくて、自由なものだ。
尽くしすぎる恋に疲れたとき、
誰かの気分に振り回されている自分に気づいたとき、
それは、見捨てられたくないという気持ちが顔を出しているサインかもしれない。
支えたいの奥にある不安を、自分で見つめてあげること。
それが、ほんとうの意味で人と関わるためのスタートになる。
私も昔は、与えることでしか愛されないと思っていた。でも今は違う。
私という存在そのものに、ちゃんと意味があると知っている。
私という存在そのものに、ちゃんと意味があると知っている。
だからこそ今は、
誰かを支えたいときこそ、自分のことも一緒に忘れずにいられるようにしてる。
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