
心理学では、こう考えます。
「心は内と外とを一致させたいという欲求が働く」。
内というのは、自分が心で感じていること。
外というのは、自分のふるまいや行動のことです。
たとえば「私は失敗しやすい」と思っているとしますね。
そうすると、失敗したときに、「やっぱりなー」って思うんです。
「ほらね。やっぱり私は失敗した」。
そうすると、「これが私らしいんだ」なんて、どこかでこっそり安心している部分が私達にはあるんです。
たまたま上手く行った場合は、例外視します。
例外視、つまりは「マグレ」だと思って、せっかくできたことであっても、受け取ろうともしません。
受け取ろうともしないので、いっこうに自信がつきません。そして、自信がないと悩み続けます。こういう悪循環を私達は繰り返しています。
「わたしはこういう人間である」
この自己概念が、親とか周りの人に言われた言葉でできている場合があります。他者から言われた言葉で作り上げている自己概念のことです。
たとえば、幼少期に親に、「お前は本当にのろまだな」と言われたとします。
何回も何回も言われたとします。
「お前は、のろまだ」
人から言われた言葉のことを、「外言」といいます。
子供の頃の私たちは、言われた言葉をそのまま鵜呑みにして、信じ込みます。すると、いつのまにか「お前→私」に主語が変わります。
「私は、のろまだ」
こういうのを「内言化」といいます。
いつのまにか、「私が」そう思っていることに変わっています。
すると、誰かに言われなくても今度は自分で自動的にそう思い込むようになるわけです。
これが、内言化です。
外言が内言化すると、これもまた自己概念になります。
これは、子供にとってはとても心がくじかれる経験で、私達は大人になってもそれを信じ込んでいます。すなわち、思い込みになるわけです。
でも、大人になった今。
それを変えていけるのは、もはや私達自身なんですね。
たとえば、なにか失敗をしちゃったときに、
「私はいつもこう。やっぱりダメなんだ。」と、自分に言うのか。
「今日はやっちゃったけど、今度からは気をつけよう」と、自分に言うのか。
自暴自棄な言葉をかけるのか、自分を励ます言葉をかけるのか。
どういう言葉をかけるかによって、そのあとの自分の行動さえ変えてしまうのです。
私はなんとなると思えるか、どうせダメだと思うか?
自己概念というのは、なにか失敗したとき、なにか問題が起こった時ほど、出やすいのです。
今、それを変えていけるのは、もはやお父さんお母さんではありません。
私達自身です。
