
朝起きたら、枕もとにあるスマホに手をのばす。
そこから始まるのは、こんな一日。
ホームで電車を待っている間も、通勤電車の中でも、会社のお昼休みでも、休憩時間の間でも、少しの時間さえあれば手をスマホに手を伸ばす。
SNSの書き込みをチェックしたり、友人のタイムラインが気になったり、ランチの写真を投稿したり、メールの返信をしたり、気になるお店の口コミを調べてみたり。
「もう、スマホなしの生活なんて考えられない」という人も多いはず。
少しの時間でも誰かと繋がっていないと不安という人が増えています。
たとえば、自分のブログに「いいね!」がつくと、「自分に興味をもってくれた」「自分と関わってくれた」「自分を認めてくれた」と安心する人がいます。
これは一時的な安心感でしかなく、「いいね!」の数を、「自分への評価、関心、人気度」のように感じて、一喜一憂してしまうこともあるようです。
気の知れた友人や仲間との集まりでも、自分の興味のない話題になると、ついスマホに気を取られてしまう人も・・・。
目の前にいる人ではなく、ネットの中の何かに夢中という光景も、今やあちこちで見ることができます。
そして、一日の終わりもスマホと共にあります。眠りにおちる瞬間まで、ネットの中にある誰かの一日を眺めて終わるのです。
それぐらい、現代人は「つながりへの不安」を抱えています。
スマホが埋めているのは、「こころのすきま」であり、「ひとりのこどく」なのかもしれません。
「なにをしても、さみしさが埋まらない」
そう訴える人がいます。
だって、本当の私が「いいね!」をされたわけではない。
ちょっとよそゆきの、ちょっとポジティブ風に見せた、その自分が「いいね」と言われただけなんだ。
じゃぁ、この私は?
このままの私を、無条件に「いいね」と言ってくれる人はいるのだろうか?
パソコンの中から、スマホの中から、そんな叫び声が聞こえてくるのが、あなたの耳にも聞こえてくるのではないでしょうか?
それは、いくら多くの人とつながっても、本当の自分とは誰もつながっていないという苦しみです。
ブログやネット上では、自分を演出することができます。
よそゆきな自分をデザインし、ポジティブな自分を装うことだってできるのです。
いかに幸せそうに、いかに充実しているように見せるのか?
人の目を気にした自分を作り上げることが、ついクセになっていきます。
メールやメッセージだって、自分を編集することができる。
声のトーンや表情を見れば隠しきれない自分が出るものだけれども、そんな部分をカットしたところのスマートな自分をいつだって見せようとしていないだろうか?

・・・なんてことを、私は電車の中でぼんやりと考えていたのです。
手にした画面からふと顔を上げた瞬間、目にした光景は、座席一列全員がスマホを手にしている姿でした。
恋人同士であろうふたり。
お互い声をかわすこともなく、視線は画面の中に向けられています。
そして、私自身もそのひとり。
今さらながらそんな光景に驚き、少しだけさみしいなと感じたのです。
スマホに手をのばすクセをほんの少しだけやめてみたら?
ネットの中にあるコミュニケーションよりも、目の前の人と関わってみようと思えるのかもしれません。少なくとも、目の前にいる人の心は、スマホの中にはないのですから。
なにをしてもさみしさが埋まらないのは、画面の向こうにいる誰かとでは満たされない、そんなコミュニケーションの仕方にあるのかもしれません。
そんな時ぐらい、不器用ながら、そのままの自分で、目の前の誰かに向かって、「さみしい」と声にだして言えたらいいのでしょうね。
つながり不安という現代病。あなたは、大丈夫でしょうか?