白の華









「我慢をやめて幸せになりたい人のためのココロ解放術講座」などというものを開催しようと思うぐらいですから、かつての私はなかなかの「我慢系女子」でした。

たとえば恋愛。お付き合いしている彼に嫌われないための我慢というものは、たくさんしました。

仕事も趣味も友人も多い、忙しい彼でしたから。
「自由にしてあげたらきっと嫌われないはず。」
そう思っていたので、さみしさについてはずいぶんと我慢しました。

さみしさを我慢するためには、「さみしくならない方法」を考える必要があります。

単純ですけれど、「仕事に打ち込めばいいじゃん!」と思ったわけです。
当時、美容師をしていた私は仕事に没頭し始めました。

でも、仕事をしている間は気が紛れるけれど。
どんなに遅く帰ろうが、さみしさは追いかけてきます。

今日も彼からのメールがないこと。
今日も彼からの電話がかかってこないこと。

来るはずもない電話を待って、お風呂に入る時でも、いつでも聞こえる場所に電話を置くのです。
どうせメールが来ていないのがわかっていても、朝起きてやはりガッカリするのです。

ですが、どこかでこのさみしさに私は慣れているところがありました。

「さみしい」とか。
「会いたい」とか。

そんなことを言葉に出して言うことは、ほとんどありませんでした。

言えば困らせるに決まっている。
それを私はどこかで「昔から」知っているようなところがあったのです。

あなたの中にも、どこか昔から知っているようなさみしさがあるのではないでしょうか。

そのさみしさも長くなれば、我慢の塊のようなものになり、言葉に出して表現できるようなものではなくなるのです。

それが、あたり前。
我慢というのは、いつしかそれがあたり前になるのです。

そうそう。
私の我慢ばかりの恋愛はどうなったと思いますか?

「お前はひとりでも大丈夫だよな。でもあの子は・・・」
そんな結末を迎えたのです。

私だって、ひとりで大丈夫なわけじゃなかったんだけどな。
そう思いました。

でもこれは、私の気持ちでもあり、彼の気持ちでもあったのです。
さみしかった彼は他に彼女を作りましたが、さみしかった私が他に彼を作る可能性だってあったのです。

嫌われないように我慢をするのがいつしか「私の愛し方」になり。
彼にしたら、求められもしないことが「さみしかった」のかもしれません。

今だからわかることなのですが、そのルーツはもっと昔にもあったのです。
私の我慢のクセは、ずっとずっと昔からの心のクセです。

でも少しだけ丁寧に自分と向き合うことができたら、昔の自分も今の自分も受け入れてあげることができるかもしれません。

そして、なにかが見つかるかもしれません。
忘れていた「ココロのカケラ」のようなもの。そして昔に流し忘れた涙のようなもの。

今の私にさみしさがないわけではありません。
ですが、今私にあるさみしさは、「大切な人に寄りそうためのやさしさ」として存在しています。

痛みはやさしさに変えられるのです。
あなたの我慢も、そんなふうに変わる日がきたらいいですね。


>>そんな人のための講座を作ります。
「10/3(土)我慢をやめて幸せになりたい人のためのココロ解放術講座」
ご興味のある方はご覧くださいね。