鉛筆ラインの大


3月23日(日)に、スペシャルワークショップという
3本立ての講座が開催されます。

その2本めは、やなぎあこ&大野愛子でのご提供となります。
ぜひお出かけ下さいませ。

☆☆☆

さて、今回一緒に講師をするやなぎとは、もう長い付き合いで、
ペンギン村に住んでいた頃の(←詳しい話は、やなぎ が書いています。)
お互いがカウンセラー養成コース生だった頃からの付き合いです。

今のやなぎをいくつかの言葉を使って言い表すとしたならば、
つねに明るさを身にまとい、やなぎがいる場所には笑顔と笑い声が響くような、
ある意味パルックの電球のように「人の笑顔を照らす人」。
やなぎを知るだれもが、その人柄には同意してくれるだろうと思います。

ですが、わたしの出会った当時の彼女というのは、また別の側面がありました。
人懐こくて明るかったのですが、瞳の奥がさみしいのです。

顔は笑っているけれども、目の奥が哀しい。
そこに、強烈なさみしさを感じたのです。

そういうのって、いろいろあるわけです。
家庭環境であるとか、幼少期の経験であるとか、まぁいろいろ。

それを「あいつらのせいで」「環境のせいで」と言ってしまうことも出来るのですが、
彼女は徹底的に向き合いました。家族とも自分とも、自分の人生とも。

それは見たくもない自分とも向き合わなければいけない作業ですから、
困難を伴います。でも、目をそらさなかった。でも、諦めなかった。

それは、やなぎがクライアントと向き合う時も同じで、
つねに真正面からそのままの姿を捉えようとするのと似ています。

時々、やなぎの前では、自分を隠せないなぁと思うことがあります。

自分に真正面から向き合ってくれる人の目の前で、
自分をごまかすことって出来ないんです。

そして不思議と、今のやなぎの瞳の奥に、あのさみしさを感じることはありません。

わたしにとって、いつだって、やなぎの側にいることは心地の良いことなのですが、
あの強烈なさみしさがあったからこそ、それが絶対的な安心感にもなりうるのだろうと。
だからこそ、やなぎの側では、みんなが安心して笑顔でいられるのだろうと。

物事はいつだって、ひとつの側面ではないのです。
苦しんだからこそ、悩んだからこそ、そこに才能が宿っていたりもするのです。

あなたにもあるんです、そんな才能。
私達は、それを見つけることが得意です。

そんな私達の講座にお越しいただけたら嬉しいです。

☆

そして、来週から。
この講座にむけて、やなぎがなにやら連載を執筆しているようです。
わたしは、4年ぶりに「あれ」を復活させようかと思います。
どうぞお楽しみに!

ラインラインライン

2014/3/23 16:00~18:00 五反田ゆうぽうと
嫌いになった自分をもう一度好きになるには?!
-自己肯定愛を楽しく学ぶー

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